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半蔵門通り商店会幹事 古村和夫さん |
2006年11月から始まった半蔵門通り商店会でのBABY in MEマタニティバッジ配布を中心になって進めてくださっている古村さん。
2002年に最初のメールをいただいて以来、バッジを街の福引景品に採用したり、
千代田区へ働きかけ母子手帳と一緒にバッジを配布するキッカケを作ってくださるなど、
これまでもいろいろな形で応援してくださっています。 |
半蔵門通りの食料品店に生まれ育ち、二代目として家業を継承。ペットボトルの回収やエコマネー、マイバッグの推進などの活動を公私にわたり積極的に展開してこられました。2006年春、家業をたたみ店舗をコンビニに貸すことになりましたが、同年、新しく発足した半蔵門通り商店会の初代幹事に就任。街の先頭に立って、さらに幅広い地域活性化に取り組んでいらっしゃいます。
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●「やっていることは、お世話になった地域への恩返し」
麹町商店会に加盟しているときに(現在は半蔵門通り商店会に所属)「KESS」(=ゴミを消す)を… <続きを読む>
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●「一国一城の主の集まりである商店街をまとめるのは大変。だから結集できる、中心に据える「柱」を作りたかった。みんなでやれるものを」
BABY in MEのことは確か、KESSをやっていた頃に新聞か何かで記事を… <続きを読む>
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●「良いものがあるならば、我々みたいな市民が少しずつでも動いて周りに伝えていかないと。物事は、1から100へポンとは飛ばない。順番にひとつずつ。じっくり、そんなに焦らずにね」
最初に独りで区役所を訪ねた時は、ほとんど相手にされませんでした(笑)。今では… <続きを読む>
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● 「昔はよく理不尽なことに猛烈に怒っていた。トップに怒鳴り込んだり、内容証明を送ったり(笑)。何かを変えたいなら、自分が変わる。人を変えることはできない。それがようやく分かってきた」
僕自身、昔は他人とのコミュニケーションの取り方がまずかった。ストレートに、「こんなに… <続きを読む>
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●「自分にできる形で一歩前へ。それぞれ人生のバックボーンが違うから同じ形は無理。だったら自分がラクにスッとできることを…。きっと面白い人生が歩めますよ」
何であれ、今できることから「早く」「やる」ことが大切です。「やる」ことで、よくも悪くも… <続きを読む>
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●「社会は、自分が成長するための道場。ドアサービスの仕事は、自分が選んで勤め始めた。自営業では、他人から注意される機会がほとんどないから」
昨年から、貸しビル業の傍ら日本交通でタクシーのドアサービス… <続きを読む>
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●「『世のため人のため』に行なうことは、『私』が隠れてしまう。だから、みんなやりたくない。人のためにスッとできる人を見ると。『あっ、スゴイ!』と思ってしまう。やったことは消せない。残っていく、自分の歴史として」
考えているだけで実行できなければ、考え自体がないも同然です。たとえば席を譲るにしても… <続きを読む>
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●商店会としては、今後は「命を守る」取り組み、例えば… <続きを読む>
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「やっていることは、お世話になった地域への恩返し」 |
麹町商店会に加盟しているときに(現在は半蔵門通り商店会に所属)「KESS」(=ゴミを消す)を作りました。「KESS」は環境団体。ペットボトルを入れると当たりでラッキーチケットが出てくる回収機を店の前に置いていました。
けれど、KESSは去年の3月に解散しました。店をやめた僕は、もう、ペットボトル回収機を置けなくなりましたから。
次に、半蔵門通り商店会を作りました。
最初に取り組んだのが、半蔵門商店会の構想段階で考えていた『国立劇場の半券サービス』です。これは、同じ半蔵門にある国立劇場か国立演芸場のチケットの半券を実施店に持っていくといろいろなサービスが受けられるというもの。
商店街の取り組みとしては、商売につながる部分は外せません。
まず『国立劇場の半券サービス』を行ないながら、次に、BABY in MEという順序で取り組みました。 |
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BABY in MEのことは確か、KESSをやっていた頃に新聞か何かで記事を読んだように記憶しています。
ちょうど将来的に商店会を設立する事を考えており、その柱になるものを探していました。「やるのなら、世界に持って行っても通用するもの。受け入れてもらえるものを」と。
記事を読んでまず「スゴイな」と。考えたこともなかったことでした。
そういう風に悩んでいる人がいる、ということにも気がついていませんでした。
社会的にも、少子高齢化が叫ばれ始めた時期。自分でも何かできないかと思っていました。
BABY in MEは、僕たちにも取組めることでした。
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最初に独りで区役所を訪ねた時は、ほとんど相手にされませんでした(笑)。
今では担当者に相談すると、区と連携するには「こうしたら良い」とアドバイスしてくれたり、商店会で決めたことに力を貸してくれるなど、ずいぶん協力してくれています。
今、僕の店はありません。オヤジがボストンバックひとつで長野から出てきて始めた食料品店」を、二代目でつぶしてしまった(笑)。 |
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25の時にオヤジから受け継ぎましたが、時代の変遷とともにコンビニが進出してくるようになり、我々のような個人商店は太刀打ちできないと危機感を持ちました。力の強いメーカーがコンビニと協働して作った商品は、うちには入ってきません。
結局、コンビニが5件ぐらいできたところで持ち堪えられなくなり、廃業しました。 |
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「サンクス」にテナントに入ってもらうことに決めたのは、僕がどんなに嫌味を言おうが(笑)喰らい付いてきたから。じゃあ全部貸してしまおうと。
そのとき僕が出した条件は、「地域活動には必ず協力してほしい」ということ。「これは絶対やってほしい。僕の夢だから」と。
BABY in MEのバッジ配布と国立劇場の半券サービスも、サンクスは協力店になってくれています。 |
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「昔はよく理不尽なことに猛烈に怒っていた。トップに怒鳴り込んだり、内容証明を送ったり(笑)。何かを変えたいなら、自分が変わる。人を変えることはできない。それがようやく分かってきた」 |
僕自身、昔は他人とのコミュニケーションの取り方がまずかった。ストレートに、「こんなに良いことがあるのに、何でやらないんだ!」と怒鳴っていました(笑)。
そのたびに、「それぞれ考え方が違うから」とはぐらかされたと思っていたけれど、確かに、考え方は百人百様。今はかなり穏やかになりましたね。
まだ、多少怒りますけど(笑)。 |
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「社会は、自分が成長するための道場。ドアサービスの仕事は、自分が選んで勤め始めた。自営業では、他人から注意される機会がほとんどないから」
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昨年から、貸しビル業の傍ら日本交通でタクシーのドアサービス(ディスパッチャー)を始めました。
六本木のビルでタクシーを乗り降りするお客さんに、ドアを開けて「いってらっしゃい」「お帰りなさい」と声をかけるのが仕事。
タクシーを含めた車の誘導をしています。
声をかけることでお客さんが気持ちよくタクシーが利用でき、また車の混雑が解消されてタクシーを待つ不便もなくなります。
最初は、常連さんの顔を覚えるのも大変でした。利益を生む仕事ではないので、タクシーの運転手さんたちから「ゴクツブシ」と先輩達は言われたこともあるそうです。
でも、ドアサービスがいることで、運転手さん達も変わってきました。今では、サービスが業績アップにもつながっています。
知人の社長は、社長専用車を来客の送迎に使い、自分はタクシーを使用しています。お客さまのために常に最上のモノを提供するのです。そのことを聞いた時、「営業とは、そこまでやるのか」と感銘を受けました。これまで自営業だったので、いつも営業「される側」でしたから。
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